生成の森

生成の森へ、ようこそ

「生成」される場とは、どんな場なのでしょうか。
チームのなかで起きてきた現象や、感覚をまとめてみました。

というのも、まずは自分たちの組織のなかで深めてみようと、組織のルールを自由にしたり、
やり方を変えてみたり実験をつづけていると、次第に
「あれ、なんだか心地がいいな」
「おもしろいなあ」
と相互に感じたり、そうチームの中で発言されることが増えたからです。

森のような、沼のような感覚を覗いてみて下さい。

制作方法

今回のマッピングは、普段から学びづくりを手がけているインターン生たちを中心に、
互いの発言や、組織のなかで日々おきている現象を抽出し、
それらの感覚やニュアンスが近しいかどうか何度も確かめながら分析し、制作しました。

メンバー

Sano Machiko

Miyawaki Yuki

Furuya
Koji

Hayashi Ayumi

Uematsu Shuntaro

Ozawa
Mika

Tenma Naoya

Takimoto Runa

Kawamukai Shiki

Ishiguro Wako

Isozaki
Risa

Kuwahara Masayoshi

制作期間:2021年4月-12月

生成の森・4つのゾーン

ナラティブから浮かび上がってきた現象を、4つにゾーニングしました。

①パーパス

未来は想定外。とはいえ、唯一ともいえる定めている部分。
ビジョンとは区別される無期限的な組織の特徴や特性。

未知への探究
定義

知らないところへいきたい。私たちは、出会う人と現場に作用されて、ついつい「未知」へと探りにいってしまう。それはミッションや課題から人と組織を動かすのではなく、場や文化によって、つい動かされているという感覚。そうやって課題やミッションに従って方向性を自ら選択することを控えてみると、思わぬ方向へと動かされ、向かっていく。この歩み方を、私たちはイシューやビジョン・ドリブンではなく、カルチャー・ドリブンと呼んでいる。

発言

「そもそも教育を人材育成と捉えているのではなく、未知の創造として考えている感じ。」

「どこに行くかはわからないけど、未知に向かおうとしてるくらいは言えるかもしれないね。」

考察

ソーシャルセクターにも、課題解決だけでなく、多様なパーパスや生き方や在り方があるだろう。「未知への探究」というスタンスは、敢えて自団体によるスケーラビリティを追求しないことでもある。

みんなのてのなかへ
定義

公立高校、とりわけ多様な生徒が通う高校に学びを届けること。それは一部の人たちだけが恩恵を受けるのではなく、できる限り分断や階層化をこえた社会にいきたいからだ。そもそも、教育とは全ての人のケーパビリティをひらく場じゃないだろうか。子どもも先生も家族も、誰もがたとえばゲームのコントローラーを握るように、創造性をいかしあえるように。そして、それぞれの場所で、それぞれの手で改良・開発できるようなコモンズをつくっていきたい。

発言

「一部の人たちだけが満足するようなことには、やる気がでないね。」

「自分たちの後ろに、けもの道みたいな道ができていたら嬉しいね。」

考察

一部の人たちが満足するようなことはしたくないけど、その反対に課題ばかりに目を向けることにも気をつけている。公立高校には課題が山積みだけど、だからこそ「マイナスをゼロへ」ではなく、マイナスからでもいつも創りだそうと思う。

ものの見方のスケールアウト
定義

社会は成熟しつつある。成長一直線で追いかけてきた時代ではかなわなかった「個」をいかすこと。Well-Beingな社会システムを目指すこと。そこにはパラダイムシフトが必要だけど、それは数で勝負してきた成長社会とはあゆみが違う。経済成長してもなお人が不安を抱え、分断しているのはなぜだろう。それらを乗り越えるものの見方を考え、みんなの共有知にするにはどうしたらいいだろう。

発言

「数や量ではなくて、ものの見方のスケールアウトってなんだろう。どうしたらいいんだろう。」

「高校でのDXって、単なるデバイス導入の話じゃないよね。」

考察

取組みを広げていくことも大切だけど、社会や教育のシステムや、人や場を探究することに時間を割くことで、量的なスケーラビリティではないソーシャルインパクトのあり方を見出していきたいと考えている。

②目指し方

どんな歩み方をしているのか。
生成されるその過程や道のりについて。

幼稚園みたいだね
定義

COVID-19の影響や公立高校での実践ゆえに、さまざまな制約や、急な変更・中止の多い日々。それでも切り替えの早い学生たちに、その理由を尋ねたことがある。すると一人が「何事も妄想だと思ってやっているから大丈夫なんです」という。たしかに「こんなことしたら面白そう」というアソビのような感覚で、学びやプロジェクトは生まれていく。それゆえに、それぞれ問題意識や目的はありながら、いつもユーモアや楽しさが、そして軽やかさがある。

発言

「プロジェクトと遊びの境目がない感じ。ワクワクで繋がっている感じが心地いい。」

「過去・現在・未来、夢も妄想も全部混ざってる感じです。」

「ずっと雑談してたと思いきや、急にスイッチが入るのが面白いです。」

考察

幼稚園みたいだね、は実際に言われてしまった言葉だ。アソビのように参画し、時空や、事実と妄想を混ぜたり、モードの切替えがあちこちに向くのも、たしかにそんな感じかも。

ほとけジェネレーション
定義

ゆとり世代、さとり世代に次ぐ、今の若者世代(おおよそ’00年代生まれ以降〜)の在り方をこう表している。不確実性が高い現代に生まれ、そのVUCAネイティブゆえに、社会性やコモンセンスより、他者や自分の個を尊重する。状況に応じて諦めるわけでもなく、人間が生来持っている感覚という複雑なセンスをもちいて進む方向を決める特徴を持つ人たちが多い。空気やアフォーダンスを読む力とか、言語以外の感覚が強い。ぬるっと突破する。

発言

「どんなキャリアを歩むのか、とか計画するほうが不安なんです。きっとすぐ死ぬすぐ死ぬって思った方が生きてて楽です。」

「学生たちが現場を担うのは、リソースが限られているからとか子どもと年が近いからじゃないんだよなあ…。」

考察

ほとけたちは、一見すると「ハングリー精神を感じない」「考えていることが分からない」と戸惑う。けれどどの世代よりも、人と組織の分断を小さくし、みんなでつくることが得意だ。だから私たちは、人手が足りないからでなく、今日も明日も一緒に歩んでいく。

見通しはあまり持たない
定義

「わからない方が、楽しいよね。」KPIやロジックモデルなどの目標や成果を手放し、その過程や変化を楽しんでしまう姿勢。シナリオの予測や計画を手放すことでこそ、未知へと向かうことができるから。だからあらかじめ、未知なる全ての可能性を受入れているということでもある。

発言

「そもそも教育の成果や目的は見えなくて、副産物しか生めないんじゃないか。」

「ふだんから「すぐ死ぬ、すぐ死ぬ」って思ってた方が気が楽で、動きやすいんです。」

考察

・KPIや成果を手放す理由は、未知へいくために最短距離で目標到達しないように。合理性を追求しない方法論は、最初は不安だけど体感すれば楽しいはず。
・計画しすぎないことは、個人へのプレッシャーも下げるかも。

意味のまえに掘ってみる
定義

考えたり話したりするとき、人って「これって意味あるかな」とか「どんな価値になるかな」とか先に言葉を選んでしまう。でも他者にとっては発せられなかったそれの方がハッとしたり、そういうところに未知はあったりする。だから対話でも研究でも、意味や解釈を考えるまえに、現場から現象や言葉をそのまま集め、探っていく。効率は悪いけど、見てこなかったことを見ていくために。既定事実や固定概念にとらわれず、ほしい未来をつくるために。

発言

「脱線したときが楽しい。でもいつも脱線してるし、日々、沼スポット多数だよね。」

「この現象マップづくりが、そもそも沼だよね。」

「対話の時間は、リフレクションというより、現場で感じた事柄や活動に対する思いをいったん全部出し切る感じ。」

考察

ここがイノベーションとジェネレーションの違いだと思う。生成されるものは、正直、不用や不要な不純物だらけでもあるのだ。ミーニングレスに居ることは、「余白」づくりだと言い換えられるかもしれない。

つくるより、できてた
定義

歩いているときに遭遇する野花のように、気づいたら「生み出していた」という状態(が多いのが青春基地)。生徒たちに向けたワークショップを行うときも、明確なゴールに向けて「つくろう!」と授業や場をつくっていたのではなく、対話を重ねるうちに「あれ、なんかできてた。始まってた。」ということが多い。だから場の土壌を耕すことを大切にしている。

発言

「忖度、がない。なんかきちゃう。」

「ゆるゆると、でも熱く。あ、気づいたら始まってた、が好き。」

「出どころがひとつじゃない感じ。」

「知らぬ間に沼に入ってたみたいな感覚があるんですよね。「あれ、なんで始まってたんだっけ」みたいな。」

考察

ここから「場」から生成するとは、ビジョンやイシューではなく、場の文化や土壌によって引き起こされるのではないか、と「カルチャー・ドリブン」と呼ぶようになった。行為の土台がコントロールではなく、アフォーダンスにあるのだ。

③ものの見方

どうやって世界や人を認知しているか。

世界は動いてしか見えない
定義

組織としても、思考としても、つねに変化を前提としている私たち。それは「しようとしている」のではなく「そもそも、しているもの」だからだ。そうやって世界をままならならないもの、流動的なものだと認知することで、同じものも違って見えてくるし、違った方法も見えてくる。そしてたとえ急であっても変化がなんら問題がなくなる。というより私たち自身は動的でしかいられないのだ。

発言

「今ここにいない人(すでに卒業したチームメンバーなど)も一緒につくってると思ってます。」

「いつも掴みきれないこと、言語化しきれないことが多いですよね。ままならなさというか。」

「(社会に対して)変えたいって思ってないんです〜。社会はままならなさそのものだから。一人でできるものじゃないというか。」

考察

複雑系や非線形として、世界を捉えていると言いかえることもできるだろう。「生命体っぽい」「自然ぽい」と表現している人もいたが、話している事柄や現状を確定したものとしないだけでなく、事実と妄想、時間さえもゆるやかに捉える「ままならコグニション」だ。

ネガやポジからの脱却
定義

ステイ・ポジティブ。そんな言葉はよく聴くけれど、ここではネガティブだけでなく、ポジティブであることからも脱却したい。ここまで社会が複雑にあるとき「正しさ」だけではよりよい方向へ行けないからだ。いや、正しさ自体が不在かもしれない。むしろ「でも〜」とか「どうせ」とか後ろに続く言い訳や諦めにこそ、ヒントがある気がはずだ。

発言

「青春基地に対する違和感やもやもやや、自分との違いがあるとしても、それが嫌にならない。」

「やる気がなくていい、自信なくていいじゃん。」

「”正しさ”を手放しているから、課題に縛られずにいられるのかも。」

考察

怒ったときもやる気のないときも同居できる場こそ、本当の心理的安全だと考えている。「あ、ほんとになに言っても大丈夫かも」と思ってもらうと、多様なひとたちが一緒にいれるし、時折エッジの効いたコメントだって湧いてくるはずだ。

悪者は一人もいない
定義

問題特定をすることが、問題解決にならないこともある。
たとえばホームレスを公園から追い出しても、居場所がないことには変わらず、彼らが状況を変えられる新しい道筋をつくることが必要はなずだ。或いは変わるべきは企業の労働基準かもしれない。そう、人はしばし誰が悪いのかと決めたくなるけど、「そうせざるを得なかった」ことばかりじゃないだろうか。原因を特定するよりも、状況や関係性を広げて読み解くこと、起きてしまった背景を紐解くことが大切だ。

発言

「先生たちのここが課題だと分析するよりも、先生たちの話を聞くことから始めるようになってからの方が、先生たちの変化が生まれるようになった。」

「なにかが起きたら、まず、その人自身がどんな状況に置かれているのかを想像する。」

考察

システム全体をとらえ、人と人の関係性を読み解くことで、状況を理解したり新しいボトルネックを見つけていく視点を「システム思考」という。教育を考えるときにも、学校のなかだけでなく、経済や文化や土壌あるいは個の感情など全体性をもって捉えていきたい。

④組織とじぶん

場と個の関係性について。
生成される場のなかで、個はどんな存在なんだろう。

主体のモビリティ
定義

「わたしじゃなくてもいい。」一見、マイナスな言葉に聞こえるけれど、そうではない不思議な主体性。目指していることや願いは丁寧に対話を重ねつつ、各自、自分のやりたいことに取り組めるように、役割や責任を定めずに進めていたら、個々の自己決定がしなやかになっていった。背後にあるのは「誰がやってもなんとかなるよ〜」というチームへの信頼と、「私たち以外がやったほうが、未来に繋がるならそうしよう」という協働相手へのリスペクトだ。主体を固定化しないことで、より創発がおきてくると言えばいいだろうか。

発言

「担当者がいない組織。やった人がいるだけ。それでちゃんと出来上がっちゃうから面白い。」

「やりたいことをやってるけど、”私がやる、やった”と感じなくてもいい。真逆そうな二つの考え方が共存できてるから不思議です。」

「自分にちょうどいいやり方で決められる。」

考察

これは個人の「責任」と「役割」を捉え直すことでもある。組織に人を留めるインセンティブを手放すことでもあるけれど、不思議と人は長らくいることが多い。ちなみに責任を抱くと「できるかな」とプレッシャーになるけれど、このあり方だと「できる、できない」の枠を超えて取り組めると言っていた。

個人主義じゃなくて個々主義
定義

今、チームで力を合わせるには、「みんなで一つに」なるのは違ってきている。「わたしたち」になると個が隠れてしまう時が多いから。
でも個のままでは出来ないことばかりだし、責任が重くのしかかる「個人主義」も苦しい。そこで、それぞれが自由を感じつつ、創造性を持ち込む方法として、個々のままに繋がり、物事を動かしていく「個々主義」を提案したいが、どうだろうか。

発言

「やり方とか、言葉はそれぞれ違うけど、みんな言っていることや感覚の中心が同じ。」

「個々からはじまるプロジェクト。いつも、やりたいことが起点になっている。」

「所属していないのに、すでに愛着があるから不思議。」

考察

「じぶん」にもいろんな顔があるだろう。ここでは日々対話を重ねているけど、評価も面談もないので、必要以上に「じぶん」に干渉されることはない。組織の中にいても「じぶん」は「じぶん」のまま自由にいられるし、役割がないからこそ、「じぶん」は固定されず流動的な状態でいられるのだ。

出入り自由
定義

関わる人たちのモチベーションは、誰かに高められたり、設計されるものではなく、後から自ずとついてくるものだと思う。取り組むなかでの喜びを感じて、大切な問いと出会って、自由や心地よさを感じて、それらの副産物として生まれてくる。
そんなわけで、組織は出入り自由だ。いないと困るからでも、やるべきだからでもなく、今その場にいたいから参画する。そうやって人と組織の好奇心や想いが重なったとき、一緒に探究を楽しみたいね。

発言

「やる気(モチベ)の縛りのなさ、あるよね。」

「青春基地ってどこまでなのか。」

「しばらく就活とかで留守にしていても、みんなふつうに話をふってくる。コミット時間とか在籍年数とか関係なさそう。」

考察

出入りを自由にしたら、境界線はどんどん曖昧になってきた。国境や県境のように内と外が明らかではなく、テーマ型。どこまでも派生するSNSのハッシュタグのような組織なのかもしれない。

研究に触れる

生成ってなに?

「生成/Generative Pedagogy」とは、研究の土台にあるキーワードです。
私たちが教育を考えるときの基盤となる考え方であり、研究対象でもあります。  

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